イマニミテオレ

自転車と音楽と病院とお酒とガジェットとPCの交点から3km離れた電柱の影に落ちてたチラシの裏に書かれた文章を拾い上げています

五山の送り火の日です。

ウチは銀閣寺の近くにあるので子供のころはいつも送り火を見るというより、大文字山自体に登って直接送り火を体験していた、それは結構特別な体験であったなと今になって思うけれど、そんな体験よりも今年の盆、そして送り火の意味は今まで生きてきた中で過去最高にその行事の意味を考えることになった。

リンク(愛猫)が亡くなってしまって100日とちょっとが過ぎた。亡くなる一週間ほど前に、寝ている僕の顔をチョンチョンしておきろ、ってやってきたのを一番思い出す。正直言うと、ずっと悲しんでいたいし、このままずっとこの悲しみから解放されたいと全然思わないのだけど、きっと成仏とかの概念とか盆とかの儀式や行事が、そんな意固地な自分みたいな存在ですら優しく前に進むように促すシステムなんだな。

3番のバスは今出川通を大文字山に向かって東に向かうので今日はいつもの3倍くらいの乗客量だった。
やれやれ、と思いながら時刻を見たら20:01。あ!

ちょうど来々飯店があったところが建物亡くなってるせいで見通しが良くなっていて「大」の字がくっきりキレイに見えた。

100日とちょっと過ぎたというのに、亡くなったときの感情が逆流してきてしまった。心なしか、ではなくて、絶対間違いなく大文字山の火の付き方、今年は過去数年にない良い付き方だったと思う。ここ数年は真ん中の方が燃えすぎだったり、遠くから見るとダマになっていたり、払いの部分が火が消えかかっていたりしたもんだけど、今年のは見事に「大」だった。
こんなに大文字山、送り火をそのままの意味として受け止めてみたことは一度もなかった。こういう機会があることに感謝したい。盆を中心に今後は生きていくことになるだろうと思った。

あ、そういうことか

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